5月のエオルゼア 第四話
「あそこがリムサ・ロミンサ?」
「あそこはウルダハ!」
まだまだ道は長そうだ。すっかり陽も落ちてきてイノリの影が伸びる。ボクの影はその半分くらいの長さ。
二人で線路の上を歩き進んでいく。
「ウルダハには寄らないの?」
「この先にね、アルさんの別荘があって今日はそこでお泊りだよー」
別荘なんてあるのか。たどり着いた先には、石造りの建造物と別荘らしき家が立ち並ぶ。中央の広場には滝やプールもある。金ぴかのライオンが口から水を吐き出している。湯気が立っているから温泉だろうか。なんにせよ豪奢で成金っぽい場所だ。
「せっかくだから、温泉入ってこー」
イノリが陰に隠れて着替え始める。年頃の娘がそんなところで着替えなんて。周りにはNPCくらいしかいないしいいか。いや、ボクがいるじゃないか! ダメだ!
「あの、こんなところで着替えるのは……」
「誰も見てないし大丈夫だよー。ノーキは後ろ向いててね」
「はい」
後ろからもぞもぞと布がこすれあう音がする。何度か「振り返れ」と頭の中の悪魔がささやくのに耐えた。
「おまたせ! どう?」
振り向くと水色の水着にパレオを巻いたイノリが腰に手を当て、もう一方の手を膝に付きポーズを決めていた。絹のような肌に健康的な肉付き、そして突き出したお尻からふさふさの尻尾がピンと伸びている。
「悪くないと思う」
悪くないというより良すぎる。いや、目のやり場に困る。水着なんだから気にしないで見ればいい。今ばかりは頭の中の悪魔の従順な僕となろう。イノリの控えめな谷間に首から下げられたロザリオが揺れている。ロザリオが揺れているのだ。ボクはロザリオを見ているだけだ。
「ノーキも早くおいでー」
そういうとイノリは広い温泉の中央に向かって泳いでいった。
「気持ちいいねえ」
「ふぅーーっ」一日の疲れが口から大きく漏れ出た。
「オジサンみたいー」
温かさで赤味を帯びた顔でイノリがケタケタと笑う。
「あれ? イノリ?」
少し離れた所からこちらに向かって声が届いた。
「エルマー!」
イノリが温泉から飛び出して声の主の元へと行く。
「久しぶりだな。相変わらずいい身体してるな!」
「もお~、そんなに見ないで」
エルマーと呼んだ斧を担いだ褐色の大男の視線からイノリが身体を隠す。
「ウルダハにくるなんて珍しいな」
「ウルダハには寄ってないよ、ちょっとアルさんの別荘に止まりに来ただけだよ」
「そっか」
「エルマーも今夜はここで?」
「いや俺たちは今夜の内に出るよ」
「そっか、入れ違いだね」
エルマーがこちらを一瞥する。
「そっちの子は?」
「ノーキ! 新人トラベラーで巴術士になる為にリムサ目指してる道中なの」
「そうか。ノーキ! よろしくな!」
こちらにもはっきり届くように大きなよく通る声でエルマーがいった。
ボクも温泉から出て一礼する。
「おーい!」
エルマーより更に後方から声がする。
「わりぃ、んじゃ行くわ。またな!」
褐色の肌に白い歯が光る爽やかな笑顔を残してエルマーが去って行った。
エルマーが去った後イノリとボクは二人で温泉の淵に腰を掛ける。
「プレイヤーもちゃんといるんだね」
「エルマーはアルさんの元PTメンバーだよ、そして私の弟子!」
「その年で弟子なんていたの?」
「私の師匠だった人でニースって人がいたんだけどね、その人がいなくなった後、ニースの意思を継ぐためにタンクを教えてくれー!って私に弟子入りしたの。私に教えられることはニースから教わったことだけだったけど、その後タンクを極めるために世界を旅してるの」
「ニースさんは……」
「うん……」
イノリが空を見上げる。満天の星空が頭上を覆っていた。
「アルさんの別荘いこっか」水滴を払い上着を羽織る。
歩いてすぐの今夜の宿に着くと、一日中歩き回った疲れもあり、すぐに眠りについた。
窓から差し込む朝日に抗ってうっすらと目を開けると、別々に寝ていたハズのイノリがすぐ隣で、同じベッドの上で眠っていた。何もしていない。ボクは断じて悪魔になど従ってないはずだ。そもそも昨日の夜は疲れてて先に眠ってしまったし。起きてたとしてもそんな成人もしていない幼気な少女をまさか。
「……誰か。……どうして……」
「……イノリ?」
枕を抱きしめながら寝言を言うイノリの目からはうっすらと涙が、朝日を吸い込んで光っていた。捲れた布団をイノリに掛けなおし、ベッドからスルりと抜け出る。
ここまでの道のり、溢れるくらいの情報量に押しつぶされてすっかり現実のことなんて考える間もなく忘れていたが、大丈夫だろうか。いや、仕事も家族もボクがいなくてもきっとよろしくやっているだろう。一人の人間なんて小さな歯車の一つで、そんな小さな歯車が抜け落ちたところで世界は何事もなく回る。こんな経験そうそう出来ないだろうし、イノリの言う通り今はこの世界を満喫しよう。
窓辺に差し込む暖かな日差しを浴びて入れたばかりのコーヒーを飲む。
※ ※ ※
「可哀そうに」
「大変だったね」
「困ったことがあったら言ってね」
「一人で抱え込まずに相談するんだよ」
「辛かったね」
「我慢しないでいいんだよ」
「泣いていいんだよ」
そっか。ボクは可哀そうなんだ。父親を亡くしたばかりなのに涙が出てこない。どうやって泣くんだろう。ボクは悲しいはずなのに、涙が出ない。辛くないとダメなのに。
「どうしてお母さんは笑ってるの」
「幸せの天使は笑顔の人に寄って来るのよ」
「いつもヘラヘラヘラヘラ笑ってるくせに全然幸せなんかじゃないじゃん!」
「大丈夫。笑顔は幸せを連れてきてくれるのよ」
※ ※ ※
「嘘つき!」
自分の声にハッとする。どうやら眠ってしまっていたようだ。イヤな夢を見た。父親が死んでから、母さんは寝る間もないくらい働き続けた。あの温泉旅行を最後に家族と過ごす時間はめっきり減ってしまった。それでも母さんは毎日くたくたな笑顔で、ボクに笑いかけた。悲しみの中にいないといけないと思っていたボクは無理に笑う母さんに辛く当たってしまった。今思えば、少しくらい弱音吐いてほしかったのかもしれない。あれっきり母さんとはよそよそしくなってしまった。
ぼんやりと過去をなぞっていると、どんな夢を見ていたかもすぐに思い出せなくなった。
「おきたー?」
先程とは立場が逆転していたようだ。眼の前に座りボクをのぞき込むイノリはすっかり身支度を整え終わっていた。
慌ててボクも乱れた髪をとかす。
「そんなに慌てなくても今日のお昼過ぎくらいにはリムサに着くからゆっくりの出発で大丈夫だよ」
「ようやく巴術士になれるのか」
「楽しみだね」
宿を出てザナラーンの荒野を歩く。リムサ・ロミンサは海の街だと聞く。これまで歩いてきた場所で一番快適に過ごせそうだ。
「ノーキ船は好き?」
「乗ったことないから分からないなー」
「じゃあ初体験だ! 楽しみだね」
どうやらリムサへは陸路から航路に変わるようだ。衛兵の目が光る城門を潜り抜けると、集落があり、更にその先に港町があるそうだ。そこからリムサ行の船に乗る。この世界でも船酔いとかあるのかな。まあ、ゲームの中だしそんなものまで用意されてないだろう。
「っうぇっぷ」
嘘だろう? こんなにも自分が乗り物に弱いとは……。確かに通勤の電車以外ほとんど乗ったことなかったから気付かなかったけど、まさかこんなに船酔いするとは。きもちわるい。
「大丈夫? 我慢してても辛いし盛大に吐いちゃえ」
隣で平然としているイノリに介抱される。イノリがさすってくれるところが気持ちいい。もうずっとさすられたい。ダメだ、気持ち悪い。
「おぇえぇええええええええ」
盛大にぶちまけた直後、力尽きた。
「……ーキ、ノーキ!」
身体が揺れている。まだ船旅は続くのだろうか。
「着いたよ」
ボクの肩を揺すっていたイノリが差し出した水を受け取り飲む。
「寝てた……」
「今日はお寝坊さんだね。到着だよ!」
イノリに手を引かれ船を降りると、海の都リムサ・ロミンサが出迎えていた。潮風が気持ちいい。眠っていたおかげか幾分気分は良くなった。
イノリが左右にフラフラと揺れてる。
「大丈夫?」
「陸酔いごっこ~」
海賊みたいでしょ? とイノリが右へ左へとふらふらしながら遊んでいる。うん、この子は大丈夫そうだ。心配するだけ無駄かもしれない。
リムサ・ロミンサは、この世界でも一番賑わっている街なのだとか。確かに今まで見てきた中で人の往来が一番多く、たくさんのプレイヤーがいた。街に降りてすぐ左手にメルヴァン税関公社があり、その中に巴術ギルドがあった。
「巴術士ギルド受付の人に話しかけてー」
目の前にはカウンター越しに巴術士ギルド受付ムリーというNPCがいた。
「え、この人NPCだけど」
「大丈夫システム的な受付とかはプレイヤーでもトラベラーでも変わらないから、ちゃんと巴術士になれるよ」
そうかこれでボクも巴術士の一員だ。
「この辺りで待ってるからNPCの指示に従ってね」
巴術士とは魔法に使われる魔法陣を算術的に扱う魔紋を扱うジョブのようだ。うんたらかんたらと受付ムリーから難しい話が続く。とりあえずお前には無理―と言われなくてよかった。
「ご理解いただけたら、再度、私にお声かけください。」
魔術とか魔紋とか歴史はよく分からんが、算術ということはプログラムに近しいところがあるのかもしれん。意外と簡単に巴術を使いこなせるようになるかもしれない。
自分には天性の才能があるかもしれないとちょっとした期待を胸にムリーにもう一度話しかける。
「英断でしたね。早速、ギルドマスターへ入門の意思を告げていただきたいのですが……故あって、現在ギルドマスターは不在です。代わりにギルドの運営にあたっているギルドマスター代理『トゥビルゲイム』へお伝えください。」
英断だったさ。ボクには無限の可能性があるのだからね。しかしギルドマスター代理なんかにボクの秘めたる能力が見極められるかな?
トゥビルゲイムはすぐ近くの本棚の前にいるらしい。辺りを見回す。この街は大柄の人間が多い。見上げてばっかりで首が痛くなりそうだ。
こちらに背を向けて本棚の前で本を読んでいる大男がトゥビルゲイムだろうか。話しかけてみよう。
「……姉御や。姐さんだった」
「巴術の命題に取り組む覚悟はあるのかい?」
「おうとも!」
「断言したね。ならば、その答えに偽りないことを証明してもらうとしようかね。」
低地ラノシアを徘徊する「ラット」、「オーレリア」、「レディバグ」を3匹ずつ倒せという課題を与えられた。どうやら代理ではボクの才能を見抜けなかったようだ。仕方があるまい。課題をこなしてやろうじゃないか。
「おつかれさまー」
「なんかモンスター討伐しないといけないみたい」
相変わらず陸酔いごっこを続けていたイノリがうんうんと頷くと、ボクらは低地ラノシアへ向かった。
街を出るとすぐに中型犬くらいのねずみと乳児くらいのてんとう虫がいた。
「てんとう虫もあれだけ大きいと気持ち悪いな」
「あれがラットとレディバグだから3匹ずつ倒さないとだね!」
そういうとイノリが敵を挑発しはじめる。
「ねえ、3匹でいいんだけど」
イノリはそこらにいたモンスターを一通り集めた。わらわらと集まっているモンスター達。きもちわるい。
「いっぱい倒した方が強くなれるよ」
イノリの背中をモンスター達が攻撃している。
「そんなに抱えて大丈夫?」
「んー、ちょっとくすぐったいかな?」
手始めに一匹。巴術士の武器だと言われた本の角で殴ってみる。何度か殴っているとラットは地に伏し霧散していった。本も角で殴れば立派な凶器になることが立証された。なんだかちょっと可哀そうだが、巴術士になる為、犠牲になってもらおう。
「まほー!」
「まほー?」
「ま・ほ・う。使えるはずだよ」
もう魔法が使えるのか。なんだかどきどきするな。
「ルインって唱えてごらん?」
「ルイン!」
身体が熱くなり得体の知れないエネルギーが中心に集まってくる感覚があった後、ボクの手元から光が飛んで行った。レディバグがあおむけになり霧散していった。
「すげえ……魔法だ……」
「やったね! これからいろんな魔法覚えられるよ」
覚えたての魔法を使うのが楽しくてイノリが集めたモンスターを片っ端からルインで倒していった。
「あとは、オーレリアだね。向こうの方に」
ふらふらっと歩くイノリが大きく左に傾く。
「いつまで陸酔いごっこしてんのさ」
そのまま左側から地面に倒れ込んだ。
「イノリ!?」
駆け寄り身体を支える。イノリの身体が熱い。
「えへへ~、ごめん~」
ゼーゼーと胸で呼吸をしている。
「体調悪いんじゃ」
「大丈夫大丈夫―、あとはオーレリアだけだからそれ倒したら戻って休憩しよ」
「いや、でも……」
街に戻ろうにもこの小さな身体でイノリを背負っていけるだろうか。助けを呼ぼうにもトラベラーはほとんどいないし。ここでも見かけるのはプレイヤーばかり。
どうしていいか分からず、辺りを見回してると見覚えのある赤い髪がこっちに向かってくるのが見えた。ボクはイノリにすぐ戻ると伝え、彼の元に駆け寄った。
「エディ!!」
「おう、ノーキ巴術士にはなれたか?」
「そんなことよりイノリが!」
「イノリがどうした?」
「こっち!」
エディを連れてイノリの元に戻る。
「やっぱり」
「ここまでは割と大丈夫だったんだけど。ごめん」
イノリが申し訳なさそうな表情で言う。
「十分だろ。ったく俺を待ってから出発すりゃよかったのに」
「ごめん……」
「気にすんな。ノーキのことは任せろ」
「ありがとう。ごめんね、ノーキ。あとはエディにバトンタッチだ~」
エディがイノリを背負ってボクらはリムサに戻った。
「久しぶりの長旅で疲れただけだ。心配するよりもお前は早く学者になって安心させてやれ」
アルの使いで来たというウサギの耳をした女性がアルの元へ送り届けるそうだ。
ボクとエディは再び低地ラノシアに向かった。
「イノリはよく熱を出すの?」
「んああ、イノリ黒衣森から出たのは久しぶりだからな」
「ずっと黒衣森にいたんだ。意外だな。イノリなら各地を飛び回ってこの世界を満喫しているものだと」
「道中何にも聞いてないのか?」
「何の話?」
「まあ、自分からは言わないか。しっかしアルさんはなーんで俺じゃなくてイノリを行かせたんだか」
やれやれといった表情のエディだが、全く話が掴めない。
「どういうこと? 何かあったの?」
そういえば、道中イノリ自身の話はあまり聞かなかった。タピオカミルクティが飲みたい17歳くらいしか分からない。
「お前が一人前になって学者になれたら、本人に直接聞いてみな」
俺から話すようなことじゃない。イノリがお前に話してくれるか分からないけどな。と続けた。
ボクは巴術士になって学者になる。そしてイノリのことをちゃんと知ろう。
「あとはオーレリアを3匹だったな、あそこにいるクラゲがそうだ。見ててやるから倒してこい」
早く強くなるんだ。強くなって学者になって。イノリを支えられるようになる!
宙に浮かび光るクラゲに向かって、覚えたての魔法を唱える。
「フィジク!」
青白く優しい光がふわふわと飛んでいった。
「それは回復魔法。学者への道のりは遠そうだな」
草の上で寝転がりながらあくびをしているエディが退屈そうに言う。
くやしいです。
「ヒーラーなんだから仕方ないじゃないか……」
「巴術士はDPS職だぞ」
え、うそ? 騙された? ボク、ヒーラーになるんじゃなかったの?
「ヒーラーになれるのは学者になってから」
やだ、恥ずかしい。もっとこの世界のことも知らないと。情報は武器にも盾にもなる。
課題を全て熟し巴術士ギルドに戻るとボクは晴れて巴術士となった。
「カーバンクルの召喚に慣れてきたらあたしに鍛錬の成果を見せにきておくれ」
召喚? 代理ギルドマスターの言い方だと、どうやらボクは何かを召喚出来るらしい。
「いでよ!」出てこない。
「召喚!!」うーむ。
「冥界より出でし絶望の権化よ、我が名を依り代に顕現せよ! 出でよ! ハーデス!」
……。
「なにやってんだ?」
「あ、これは、その……召喚! 召喚出来るって聞いて」
「お前は何を召喚しようとしてんだよ。召喚した魔物に飲み込まれて終わりだろ」
召喚するには『サモン』と唱える必要があるらしい。まったく知ってたなら先に教えてくれよ……。
「サモン!」
青白い光が大きくなっていく。大きくなった光の玉がはじけると、召喚獣が現れた。
「かわいい」
うん、かわいい。つぶらな瞳で青く光るウサギがこちらを見つめている。愛くるしい。ペットかな? 召喚獣ってもっと強くて一緒に戦って敵を薙ぎ払ってくれるようなのをイメージしてたんだけど。動くとついてくる。走り回ってみてもずっとついてくる。かわいい。
そうしてボクとカーバくんのレベル上げが始まった。カーバくん? この子の名前だよ。カーバンクルっていう生き物らしい。だからカーバくん。エディには馬鹿にされたけど、なかなかイイセンスしてると思う。エディがセンスないだけだ。
カーバくんはボクが攻撃した対象に遠距離から援護射撃をしてくれる優秀な相棒だ。エディは相変わらず近くで寝そべっている。
「ナタクさんのとこ報告行かなくていいかな?」
「いいだろ。どうせ今度は学者になってから来い。話はそれからだって言われるのがオチだ」
なんとなくイメージできる。学者になるにもリムサ・ロミンサに来る必要があるようで、「ここでさっさとレベル上げて学者になってから戻った方がいい」というエディの意見に賛同した。学者になってからヒーラーについていろいろ教えてもらおう。今のボクはヒーラー職じゃなくDPS職らしいし。
5月のエオルゼア
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