12月のエオルゼア 最終話 20.12.31
久しぶりにリッカさんがログインをした。といっても1週間くらいだが。それでもリッカさんのいないエオルゼアはどこか大切な色を失ったようで、普段は気にならない天気ばかり気になって、ああ、また雨かと胸が塞がるような日々だった。
「元気してた?」
「元気です!リッカさんこそ大丈夫なんですか?」
「うん、ちょっと仕事が忙しくてね」
エオルゼアの世界では、1400秒毎に天気が切り替わる。23分と20秒。あっという間の時間だが、実際に待ってみると思った以上に長く感じる。晴れた暖かな日差しが続いたと思えば、突然雨に変わる事もある。雨で心を湿らせている内に気付けば快晴に変わることだってある。現実より移ろいやすく、私たちの心のように揺らいでいる。今日も雨が続いていた。
「イベントの準備進んでる?」
「はい、ばっちりです!」
次の開催場所はどこだとか、開催日時だとか。一人で決めた仮案だけど、忙しいリッカさんの負担が少しでも減ればいいなと思って。
「ばっちりだね!このままみんなに告知しよう」
流れる文字は明るく元気なのに、どこか寂しそうな表情に見える。天気のせいかな。リッカさんは、いまどんな顔をしていますか。その目には何が映っていますか。
「私さ……」
リッカさんが口を開く。貴女の声で貴女の顔を見て聞くことが出来ればもう少し貴女の事を知ることが出来たのかな。私でも力になれることあったかな。貴女の話を聞き終えたあと、雨は上がっているのかな。
雨で湿気った煙草に火を付ける。小さくパチパチと水が蒸発する音が鳴る。昔は会社の中で吸えた煙草も今では小さな軒先の下だ。喫煙者にとって肩身が狭い時代だが、こうして一人物思いにでも耽って吸うのも悪くない。
今でこそ直属の部下にまで独り身だと馬鹿にされるが、私も家庭を持ったことはあった。あの日々をそう呼ぶことが許されるのなら。
「悪くないねえ」
どうやら感傷に浸るにはまだ早いようだ。
「私も吸おうかな」
「やめておけ、身体に悪い」
「目の前で吸ってる本人に言われてもね」
雨は強まることも弱まる事も知らず、そのひと時が永遠に続くような気がした。半分潰れかけたソフトケースから一本煙草を差し出す。長い横髪かき上げ、ライターの火に照らされた彼女の表情は、熱に侵された夏の残滓のようだった。
「むせるかと思ったんだがな」
「むせないねえ」
私が吐き出す煙を追うように彼女が煙を吐き、混じって霧散した。
「間違ってないよね……」
「どうだろう」
遠くに見えるマンションの部屋に明かりが点くのを見つめながら、彼女の独り言に独り言で返す。
この仕事を長く続けていると、人の表情や反応を見て言葉を選ぶのが上手くなる。いまは否定も肯定もしない、これくらいがちょうどいい。
自分の娘でもおかしくないくらいの年ごろの彼女は、軒下から手を出し、たばこの火を雨で消した。持ち物には名前と住所を書いておけってお母さんに言われなかったか、ロマンチックな出会いが待っていたかもしれないのに。例えば傘とか。そう言って扉の向こうへ戻って行った。
まったく、どうしようもない雨だ。でも今はこれくらいがちょうどいい。
「辞めることにした」
久しぶりのエオルゼアはあいにくの雨。私は上手く言葉を紡げるかな。今まで嘘ばかり、こんな嘘ばかりなRikkaにも私は滲み出ていたのかな。自分を偽ったのも本当の私。偽らなければ窮屈で、偽れば解放的だったのも私。全部本当なんだ。だから私はこの子の純粋な眼差しには、向き合わなければならない。過去に置いてきてしまった自分を迎えに行く為に。
「どうして……」
ごめん。貴女と過ごした時間は本当に楽しくて優しくて、心が躍動するようなそんな日々だった。それを嘘だったなんて思わせたくない。彼女の中でリッカさんという人がちゃんと生きていけるように。それがいつかの私のように心の支えになれば。自分勝手でわがままな言い分なのは分かっている。それでも私は貴女の前ではリッカさんを演じ続けるよ。それがRikka。ううん、河野莉子の生き方だから。
「言えない」
本当のことを話しても彼女は許してくれるだろう。だけど、私が私と向き合う為にと言ったら、彼女は自分の感情を堪えて私を応援してくれるだろう。分かるんだよ。だって、貴女と私は同じ匂いがするから。
「そんなの納得できません、私なにか悪いことしちゃいましたか?本当にリッカさんが大好きでずっとリッカさんと一緒に過ごしたいってそう思ってるんです。思っちゃったんです」
ああ、泣かせてしまった。私がツユちゃんと呼んだその子の表情は変わらない。けれど、その奥の貴女はいま泣いているのでしょう。
「急にいなくなるなんて言われても分かりません。私どうしていいのか分かりません」
大丈夫。全部受け止めるから。全部吐き出していい。勝手にいなくなってしまう私に、貴女が大好きだと言ってくれた私に。最初から最後まで自分勝手で貴女を振り回す、そんな人がいたことが貴女の支えになる日が来ることを祈って。
「イベントだって、リッカさんが始めたんですから最後まで責任持ってください。私のメインクエストだってまだ終わってないんですから。リッカさんの他に誰が私にイタズラしに来てくれるんですか。約束したのにまだ連れて行ってもらってない場所だっていっぱいある」
すごいなあ。なんて、こんなことを思っていると知られたら怒られそうなものだが、素直にそう思った。言葉選んでは捨てて、拾っては破いて、結局何も言えないことばかりだった貴女がこんなにも心のままに訴えかけてくれる。私もそうなれるかな。貴女と私は同じ匂いだったけれど、全く別の人だったね。
「リッカさんが何を考えてるか分かりません。でも私にとってリッカさんは憧れの人で大好きな人なのは決して揺るぎませんから」
いつの間にか天気は快晴に変わっていたようだ。私の目にはこんなにも滲んで見えるのに。
「こんなにも必死な私を見て画面の前で笑っていたとしても、リッカさんと過ごした日々は宝物ですから!これは事実なので揺るぎません!」
溢れ出すように話す彼女と頑なに言葉を閉ざす私。
「別れの挨拶は言いません。代わりにいつもみたいに『またね』って言ってください。これが最大限の譲歩です」
またね。ツユちゃん。
最後の言葉は次を約束する言葉。その言葉通りの意味は持たない。でもその言葉以上の意味を持っていることを私は知っている。
カーテンを開けて窓から外を見ると、すっかり雨は上がっていた。この世界とあの世界がどこか繋がっている。そんな気がした。
窓を開け、冷たい空気を思い切り吸った。
――いま、雨上がりに問う。
あれから、日々はとめどなく流れていき、イベントの当日を迎えた。どこか心は落ち着いていた。リッカさんは私に別れの儀式を用意してくれた。私が前を向いて歩けるように。あの日から劇的に変わる何かがあった訳ではない。だけど、なぜかこの胸に彼女がいるのを感じる。だからこの眩しい太陽の下、心は晴れやかだった。
イベントが始まる時間だ。
「あ、えっと……」
えっと……なんだっけ。あれ……。前言撤回だ。私はいまとても緊張している。なぜなら私はいまとても緊張しているからだ。
こんな私を見たらリッカさんはきっとまたくだらないイタズラを思いつくのだろう。私の中のリッカさんが笑うと心が少し凪いだ。
「ルールを説明します――」
一通りルールを説明し終わった頃、天気が切り替わり、雨が降る。
「雨なんかに負けるな!ハルくんの2連覇なんて面白くないぞ!気合入れて大物釣り上げろー!」
メンバー達から鬨の声があがり、イベントの幕が切って落とされた。
この世界の天気はこんなにも容易く移ろいでいく。イベント前は晴れていたのに、急に雨が降りだしたかと思えば、今度はさっきまでの分厚い雲はどこへやら一面の青空に太陽が燦々と輝く。
私は貴女のようにはなれないかもしれないけれど、貴女と過ごした日々を胸に歩いて行きます。
――いま、雨上がりに問う。
『アナタの心に私は生きていますか?』
雨が降っている。傘は忘れてしまった。このまま濡れて帰ってもいいかと思ったが、以前風邪をひいて部下に酷く叱られたことを思い出す。
思わず漏れたため息は白く、視覚的に寒さを訴えてくる。
このまま、雨宿りしていても身体が冷え切って、それこそ風邪をひいてしまうかもしれない。仕方なく歩き出す。
「傘差さないんですか? 風邪ひきますよ」
柔らかい声が雨音に交じりながらもはっきりと私に向けられていることがわかった。
「あいにく傘を――」
言いかけたところで、目の前に見覚えのある傘が差しだされる。
「ああ、あの時の」
今日忘れてきた傘ではない、今よりももう少しだけ暖かい雨の日に置いてきた傘だ。
「貴女の傘は?」
彼女は傘を一本しか持っていなかった。それを渡してしまっては彼女はまたずぶ濡れになってしまう。
「いいんです、わたし――」
首筋に傘の柄が当たりひんやりとする。
「生きていますから」
あいにくの雨なのに春の昼下がりのように駆け出す彼女を目で追っていた。
肩に掛けられた傘がずり落ち、再び晒された空を見上げると、さっきまで透明だった雨が光を反射して白く揺らめいた。
掌に落ちた冷たいそれが、滲んで溶けていく。熱が交じり合って心と体を曖昧にする。
手の中に収めた冬のまぼろしは、消えずに私の心をそっと包み込んだ。
12月、東京は雨のち雪。
ところにより晴れ。
おしまい。
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------ 最終話 20.12.31
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